お久しぶりです! 1


まさかの四年間の放置、失礼しました。すっかり忘れてました。私は元気です!

この間、何をやっていたのかと言いますと、まず、空き家を改修して機織り工房を作り、

高機だけでなく、姑の嫁入り道具の居座機(腰機)を四十数年ぶりに復活させたり、

あとはもう、山の暮らしに追われながらひたすら機織りの腕を磨く、という感じでした。何せ切羽詰まっていたもので。

変わりダネ的には、大型特殊免許を取ってCAT910という、デカかっこいいタイヤショベルで除雪などもやり始め。

みるみる可愛らしさから遠ざかっている毎日を送っております。

女らしさ迷子中。

 

さて、ありがたいことに、昨年2022年は身に余る栄誉を頂戴する機会に恵まれました。

第4回三井ゴールデン匠賞のファイナリストに選んでいただき、全国伝統的工芸品公募展では入選を、さらに国内外そして新潟で活躍する女性を選出し表彰する「新潟女性活躍アワード」での受賞と、嬉しいことが続きました。

さらに、あちこちでしな布や山熊田の暮らしのことをお話しさせていただく機会も増えました。

ひとえに、応援してくださる方々、おもしろがってくれる方々、支えてくれる方々、そして今まで辞めずに続けてきた山熊田の村の婆がたのおかげです。

不思議な感覚なのですけれど、私が頂いた栄誉、という感触が全くなく、村のみんなで頂戴した誉れ、という具合なんですよね。

最も、その通りなんですけれど。

しな布に未来があれるように、今年からは村上市がバックアップしてくれての育成事業も始めることができました。ありがとう村上市!

来年度からはさらに加速して、しな布を取り巻く危機を軽やかにおもしろく脱していきたいなと思っています。

引き続き、よろしくお願いします!

 


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One thought on “お久しぶりです!

  • 田中正彦

    こんにちは、かなり前のことになりますが私は山熊田集落の剛三山について御質問させていただいた者です。実は書籍を出版することになりまして、その文中に大滝さんとのやり取りを一部掲載したいと考えており、宜しければ御許可をお願いいただければと思い御連絡をさせていただきました。少し長くなりますが掲載文をそのまま書き込みますので大変に御面倒をおかけしますが御確認願えれば幸いに思います。

    平成29年3月11日(日帰り)
    剛造山636.7m
    NHKの「小さな旅」という番組で「命紡ぐ冬」と題され村上市の山熊田集落が放送されていました。番組では栃餅、シナ織、熊打ちなどが紹介されていて、豪雪に鎖される集落の冬の暮らしの情景がよく伝わってくる内容の番組でした。山で猟をしている確か50歳代後半の男性だと思いましたが、彼のところに埼玉県から30歳代の女性が嫁に来たといった内容のことも紹介されており、それにはすごく羨ましいと思いました。世の中にはいろんな方がおられるもので、私も「早まったかな、もうちょっと待っていれば良かったかな」なんてつい思ったりもしている次第でございます。ちなみにその30代の女性はアーティストということでHPも開設されていて、後日に剛三山について教えてほしいとコンタクトを取ると、アーティスト関連とはまったく関係の無い問いに対して親切にいろいろお調べしていただき返事してくださいました。
    山熊田は新潟県の北端に位置する山村集落であり、山を挟んだ県境尾根のすぐ裏側には松ヶ崎集落や繁岡集落といった朝日連峰の御膝元である大鳥地区の集落が広がっております。この山熊田集落と大鳥の間を遮るように貫通する付近の県境尾根は秘境中の秘境と言っていいほどのところであり、それら周辺を訪れたというような記録がほとんどなく、またそんな秘境の一角に地形図上に記載されていない二の俣峠と言うところがあり、この山熊田集落からかつては塩の道があって、現在でもその古道を使って二の俣峠へ至ることが出来るとのことで、そんなことからも私にとって山熊田集落は非常に興味深い集落となっております。今回はそんな山熊田集落から秘境の県境尾根ではなくその手前、山熊田集落の里山とも言うべき剛造山と言う山に登ってきました。この付近一帯は山々に囲まれているところですが、国土地理院発行の地形図ではこの剛造山くらいしか山名が記載されておりません。従って剛造山はこの付近では目立つ存在の山となっております。
    午前9時過ぎに山熊田に到着すると集落一帯は人で溢れかえっております、皆さんカンジキを手に持っているところからして、どうやら今日は村興しの一環としてカンジキツアーの催事があるようです。おそらく大日峠方面に向かうであろうカンジキツアー御一行様とは別方向である林道に向かって車を走らせました。廃校らしき建物の脇を通り抜け、しばらく進むと真新しい小屋があって除雪はそこで終わっていました。終点部は小広く除雪されているので車を止めるには好都合でした。地図を見る限りでは通過困難な箇所や悪場は無さそうでしたし、昨日まで降った新雪でラッセルが深いと判断し、今回はスノーシューを装着して林道奥へと進んでいきました。目の前には山襞が幾重にも重なっていてどれがどの山なのかさっぱり分かりません。目指す剛造山に取付く尾根も何だかよく分かりません。遠目でなだらかで取り付きやすそうな尾根がひとつあり、地形図で良く確認するとやはりそれが予定していた尾根のようでしたので、とりあえずそこから上を目指します。距離もそれほどなく、高度差もあまりなくて、さらに悪そうな場所も見当たらないことから気楽に剛造山山頂を目指しました。途中で尾根を林道が寸断しています、尾根が寸断しているところは再度急斜面に取付いて尾根上に乗る作業を仕切り直しで行なわなければなりませんが、そんな場所が2ヶ所ありました。途中、木にはワイヤーが縛られており木を切り出している痕跡が見られます。林業を生業としている方たちの物なのか、それとももしかすると山熊田集落で盛んに行われているシナ織の原料となるシナの木を伐り出すためのものなのかもしれません。前述したNHKの収録では山熊田集落のシナ織についても詳しく放送されておりました。雪深い山村では織物が盛んなところが多いようで、雪国観光圏発行の雪国と織物に「なぜ雪国には織物が栄えたのか?」との題目があり、そこにはこんなことが書かれておりました。1.芋麻栽培に最適な気候、2.織物に適した気候、3.冬に可能な生業、4.雪国の女性の性格 長い冬を黙々と耐え忍ぶ生活習慣,5.かみあう雪の恵み 糸や布を晒して漂白するのは雪の恵みが必要,6、輸送のしやすさ 織物は軽量、7.貴族からの需要がある といった理由だそうです。いずれにしても山に生きる山熊田集落の人たちのものと思われる痕跡が多く見られることから「さすが集落裏手の里山」と思いながら先に進みました。
    そして尾根は思った通り悪場もなくすんなり山頂に至ることができました。細長い山頂からは屏風のように大きく見える県境尾根の他、見渡す限り山また山の景観ではありましたが、途中では日本海も間近に見える場所があって、非常に珍しい不思議な景色をこの山では味わうことが出来ます。それにしても付近は多くの山で囲まれており、格好の良い鋭鋒のような峰も見受けられますがそれらにはどれも山名は付けられていない模様です。付近には目立つようなピークがあるにも関わらず国土地理院の地形図に山名は記載されておらず、ここのピークに限って剛造山という名前が付けられているのは山熊田集落民との関わりが深いところなのではないかと考えながら山頂をあとにしました。
    何故、剛三という山名が付けられているのかといった問いに対して女性アーティストの方が返答してくださった内容としては「剛三という由来は定かではないのだが、山熊田集落付近には大日峠や金剛川といった宗教に因む名称のものが多いところから剛三という山名も宗教からきた可能性があるのでは」とのことでした。山などに登っていると訪れる山々の山麓には必ず山村集落が広がりますが、今となっては限界集落と感じさせるところが多く見受けられ、訪れるたびに寂しさを感じている次第です。若者は山を離れ、山村に伝わる伝統や風習が薄れてきている中、山熊田集落は非常に活気を感じる集落で、ちょうど私が訪れたこの日もかんじきツアーと思われる行事が催されていて、この地区では村興しの行事が多数催されているようです。そんな山熊田集落は現代と共存しながらも山に生き、山と共に暮らす、古くからの伝統や風習、風土をずっと守り続けている集落だと思いました。登山ブームとなり、入山口へ至る道路が良くなって、道具が発達した昨今、大挙して山に人々が押し寄せる世の中になった今、安易に山に登る人たちも多くおられるようになりました、それはそれで楽しければ良いと思います。でも私は山を崇め自然を決して粗末に扱わない山村集落の人たちの山に対する姿勢を少しでも学ばせてもらってから山に入りたいと、愚かな私が言うのもなんですが、あの活気あふれる山熊田集落の人たちを見ていると、そう思わざるを得ませんでした。

    以上になります、どうか御検討をお願いできればと思います。