移住したわけ


現代美術をやっていたら、どえらい田舎に出くわしてしまった。

 

出会ったものごとに対して、不足を補ったり、忘れられた大事なことを掘り返したり、時には復活するまで付き添ったり、そんな「より良くなるため」の作品を展開しながら、私は全国各地や海外で現代アートの活動をしてきました。

少しでも状況が好転すると、私は嬉しくなります。そういうコトが好きです。

 

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[天国と天国]別府/ベップアートアワード・オーディエンス賞

別府の魅力的象徴だったストリップ劇場が幕を閉じた。かつての時代の立役者たちへのオマージュ。

 

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[人魚はずっとそこにいた]長崎県川棚町片島/旧海軍人間魚雷発射試験場跡地にて
忘れてはいけないこの場所の記憶。忘れないために、記憶の記録をする。

 

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[スナック優子]別府/混浴温泉世界 協力企画

かつて栄えた別府の中心部路地裏は今、もぬけの殻。かつてそこにあったように飲食店を開き、にぎわいを取り戻す。

 

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[しんぶん連鎖]仙台/協力:山形新聞社

古新聞で創った部屋で来場者にインタビューし、聞き出した魅力の記事を実際に新聞へ掲載する。コトとモノの往復。

 

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女神の家[信濃女神瀑布絵図]長野市/清泉女学院企画AIR

レジデンス先の民家は立派だったが顔がなかった。長野の魅力を詰め込んだ掛け軸を創り、床の間に飾る。

 

しかし、少しづつ「あれ? アートってこんな感じだったっけ?」と、違和感を無視できなくなってきた頃、友人のジャーナリスト・山川徹氏に「マタギと飲もう」と誘われ赴いたのが、新潟県村上市山熊田。マタギの集落です。

そこで私は、電気がなくても生きていけるような、たくましい暮らしを見てしまった。日本のほとんどの地域で滅びてしまった昔ながらの調和した生き方が、今も息づいていたのです。

カタカナ皆無でよくわからない言葉を話し、山から切り出した薪で煮炊きし、伝統的な狩猟をし、スケールでかく酒を飲む。水も薬も美味いご馳走も燃料も、工芸素材や心奪われる絶景までも、全て山にある。私より体力たくましい爺や婆ばがいる。しかもハイセンス。皆オシャレだし心も豊かにある。日本らし過ぎて、日本とは思えないこの彼らの日常は、私には圧倒的非日常でした。

それを知ってしまってからというもの、非日常を作り出すアート表現云々ということよりも、日本人の誇りの塊のようなこの地が滅んでほしくない、と強烈に思うようになりました。

加速して止まない人間をも消費する社会でも、居直った暗雲に不安になる日常でも、私利私欲が他者を蝕んでもまかり通る世の中でもない。

人間が生きていく本質とその暮らしが、まだ、ここにはあります。私たちには、まだこんなに可能性があった。

しかし、そんな誇らしい文化を失ってしまった後では、立ち返りたくなってももう遅い。少しでも多くのコトを引き継ぎたい。

 

そうして私は、移住しました。