お地蔵様の前掛けは、子を授かった人々が、お礼にかけていかれるのだとか。
真冬でも安心の厚着に!
さて、この「祈祷念仏」なのですが、各集落、独自のスタイルを持っていて、
小俣集落の場合は、鐘と太鼓に合わせて大変長い大きな数珠を皆で廻しながら、「南無阿弥陀仏」と囁くように唱えていきます。
年季の入った鐘や太鼓はツヤッツヤ。
鐘の音200回×2セット、お茶やお昼をみんなでいただいた後、午後イチでもい1セット、計3セット。
楽器担当はお当番の方々です。
数珠もツヤッツヤ!
所々に棒や玉が付いていて、手元に廻ってくると頭を下げてお辞儀して崇めます。
廻しながらペースを乱さずにいかにありがたくお辞儀するか、というスムーズさが問われます。
この数珠の長さ、以前は大きな村だったんだろうなあと思いを馳せていると、昔はそれでもスペースが足りずに内側にもぐるりと並ぶほどだったそうです。
2セット終わってお茶タイム。
私がお辞儀しているものは何なのかとよくよく見てみますと、
…ポッ。さすが子宝部門担当のお地蔵様です。
「ち、ちなみに、木の玉のほうは何ですか?」と聞くと、
「ほら、やっぱりアレじゃないの?アレよアレ。アレよね。」
「きっとそうよね」
「おおー!信楽の立派なタヌキのアレですか!」
「そうそう、あなたもよくよく拝みなさいよ(爆笑)」
と、”人間だもの感”満載の、昔から続いてきた女子会ならぬ女会でした。
(私の脳内では「ちん◯ん祭り」というネーミングが頭を離れず、煩悩まみれ。無礼者でほんとうにすみません!)
このお数珠、足でまたいではダメで、もしうっかりまたぐと「またいでません」と言わんばかりに数珠を潜って戻って行ったり来たりしてチャラということにするそうです。私も潜りまくりました…。
山ノ神信仰にも多く残る「血を出す女=汚れ」で、ありがたいお数珠を汚さないようにという意味だろう、とのことです。
おもしろいなあ。ほぼ形骸化されてはいるけど、現代の社会ではもう稀な、女不浄観。
お茶やお菓子をいただいて、その後、係りのお母さんが用意してくださった汁椀と、持参したご飯やお漬物をいただきます。
昔は祈祷念仏の3日間、おせちのお重みたいにしてご馳走(御膳)をがっつり派手に用意していたそうなのですが、
「歳とって用意が容易でなくなった」と、簡易化したそうです。
それでも本質は変わらず、お母さんがたの技が光ります。
小俣の名物の一つ、けんちん汁。
上手に保存されたどんぐりなど春の山菜や、夏のミョウガがふんだんに!うまい!特にどんぐり!
そして必然的にお漬物祭りになります。
切り干し大根の松前漬けみたいなのや、ヤーコンや菊芋の味噌漬け、大根漬けに、
秋田蕗(超でかいフキ)のキャラブキに、
小指サイズのキュウリの粕漬け。
お母さんたち、ほんとうに料理がうまい。幸せっすね~、旦那様がた。ヒューヒュー!
さて所変わって、こちらは同じ時期に4日間行われる山熊田集落の祈祷念仏。
地蔵堂の壁に掛けられた念仏セット。
こちらは、ちょっと小ぶりで黒光りしているお数珠です。
念仏の歌もあります。なんと掛け合い!しかも高速回転!!!
美しい掛け合いで唱える念仏、風情が半端ないっす。
そして「いつ終わるんだろう、まさかエンドレスなんじゃ…」という不安を払拭する、念仏システムが明らかに!
大きな数珠に一箇所結び目があり、玉の印が付いています。
山熊田の祈祷念仏は、数珠100周×3セット/1日でした。
いつ作られたのか、もはや誰もわからないほど昔からある、カウント用の玉50粒。
シナ布製もありそうです。
古い着物なんかも使っているそうだけれど、柄がオシャレ。
余談ですが、山熊田の女性は昔っからオシャレだそうで、街でオシャレな人を見たら「山熊田の人だな」と思うほどだったとか。
昔から家庭を守ってきた女性たちの習わしは、お地蔵様と一緒に村のコミュニティ作りにも一役買う伝統なんですね。
こうして村は平和を保ってきたのだと、お漬物とともに身にしみる行事でした。